仲正昌樹『なぜ「話」は通じないのか――コミュニケーションの不自由論』
最近書店に行くと「話が通じない」系の書籍が多く目に入る。Amazonで「話+通じない」などで検索してみると、
とか
とにかくたくさんある。中には最近のものではなく絶版のものもあるけれど、書店には「話が通じない」コーナーとでもいうべき領域ができつつあり、現在それだけニーズがあるということだろう。
でまあ、話が通じないのはどうでもいいのだが(通じるわけがないのだから――というより「通じ」という言葉の用法によっていかようにでも問題を設定できるのだから)、去年からブレイクぎみの仲正さんのこの本は抱腹絶倒。面白い。
仲正さんのいう「話は通じない」というのは、ルーマン的な「人間にコミュニケートすることは不可能である」みたいなレベルというよりは、まともな手続きをとれない、合理性に欠けたバカ=「ワン君(パブロフの犬)」が、とにかくコミュニケーションを自己目的化することによって、コミュニケーション・システムの合目的性が破綻させられる、という滑稽な(仲正氏にとっては非常に不愉快な)アリガチ事態のことだ。
仲正さんの場合は講演や研究会などでのありえねー(でもよくある)エピソードを豊富にお持ちなのだが、「悪い聴衆」――「質問タイム」に「自公独裁政権による…」とか脈絡なく発言する人――と「人格者」のやりとりは笑える。
[引用開始]
「人格者」の方は、「本質的な質問」に対して「答える」ふりをして、自分も実は(そこらへんの薄っぺらで小賢しい知識人とは違って)そうした「本質的な問題」について思い悩んでいるんですよ、というポーズを取ってみせたり、「質問」に便乗して、「その質問にも関連しているのですが……」、という調子でさきほど「言いたりなかった」ことを滔々と語ってみせたりする。それでは、「悪い聴衆」がはぐらかされたと思って、余計に憤慨しそうに思えるのだが、必ずしもそうではない。「本質的な質問」だと認めてもらうと、理屈の上では何の関連もない「答え」であっても、結構満足してしまうことがある。この人たちはお互いに何を求めているのだ!
[引用終了]
仲正さんの罵倒芸はすばらしいね。ちなみに渋谷のブックファーストでは特集が組まれていました(仲正氏関連本がまとめてゲトできます)。